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  • 2012.06.20 Wednesday

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    伊号169潜水艦

    • 2012.06.20 Wednesday
    • 09:19
     
     伊号169潜水艦

     伊号169潜水艦は、昭和10年9月神戸三菱造船所にて進水した。全長101,7m総トン数1400トン。洋上速力23ノット,潜航速力9ノット。最大航続距離14000海里。当初は、伊号69であった。しかし、昭和17年5月伊号169に改名した。

     昭和16年、第六艦隊第三潜水戦隊に編入された。真珠湾奇襲攻撃に伴い他の25隻の僚艦と共に真珠湾を包囲する形で海中で逃走する敵艦を待ち受けていた。この時、敵駆逐艦を発見し魚雷を発射したが外れてしまい、雷跡を追われ爆雷攻撃を受けたが、最大安全深度75mをはるかに越える132mの深度まで潜航し難を逃れた。その後、度重なる危機を免れて伊号169はクワジェリンに帰還している。

     昭和19年4月4日、米艦載機がトラックに現れた。夏島北西沖合に停泊していた伊号167など5隻の僚艦と共に伊号169も水深40mの海底に潜航避難した。しかし、空襲警報解除後に伊号169だけは浮上しなかった。調査によると、機関室給気筒の防水バルブが開いており、そこから海水が流れ込み浸水し浮上することができなくなった。このバルブの閉め忘れかあるいは、潜行中に開いてしまったかのいずれかの原因と思われる。この事故の発生後、急きょ救助隊が工作船等を使い艦を引き上げに試みるが、ワイヤーロープが切れるなど作業は難航し、とうとう伊号169を浮上させることは出来なかった。そして、この事故から一ヶ月後に全ての作業は打ち切られた!その後、艦内にある軍事機密の処分や遺体の収容のために艦首や艦橋を爆破した。この時、13体の遺体を収容している。ちなみに、当時の目撃証言により昭和48年に発見されるまで、軍の機密保持もあり伊号169の沈没位置は特定されてはいなかった。また、トラック諸島に沈む数多くの船の中に眠る遺骨の収集を、当時の厚生省が初めて行なったのが伊号169であった。

     現在、夏島北西沖最大深度42mの海底に、北東方向に左舷を傾けた状態で伊号169は沈んでいる。艦首前方と艦橋は破壊されて跡形もない!しかし、その他の部分は比較的原型を留めている。艦体には何本かのワイヤーが今でも架けてあるままだった。スクリューは外れていた。トラック環礁に沈む他の艦船同様に艦体はボロボロで、これが潜水艦であったかどうかはよく見ないとわからない。



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    トラック大空襲

    • 2012.06.14 Thursday
    • 19:24
     トラック大空襲

     先日、トラック諸島を訪れるたびにお世話になる、トラックオーシャンサービスの末永さんのブログを通して、【トラック大空襲】の著者である吉村朝之氏の訃報を知りました!先月末に68歳という年齢で生涯を閉じられました。ここに、心からご冥福を祈ります。

     この著書は、トラック諸島に沈む数多の艦船の詳しい内容が記載されています。吉村氏は、この海に沈む駆逐艦追風・文月を最初に発見したダイバーです。600本以上のダイビングから富士川丸・神国丸・愛国丸を始めとする沈没船の詳細等等を細かく記しています!

     私は、この著書を20年以上前に書店で見つけトラック諸島に行く決意をしました。初めて、ダイブした富士川丸がこの本の内容のままであったことに、感動さえ覚えた記憶があります!もし、この海に沈む艦船に興味がある方は一読をお勧めいたします。

    なお、末永氏のブログは以下のとおり!

    http://blogs.yahoo.co.jp/pocosuenaga



     トラックの夕陽





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    海軍運送船・桑港丸

    • 2012.06.02 Saturday
    • 15:59
     
     海軍運送船・桑港丸

      この船は大正8年3月、川崎造船所で進水した。総トン数5863,89トン最高速力14,27ノット貨物船であった。当初、川崎造船所のストックボートであったが、同年8月に国際汽船に売却されて桑港丸となった。ニューヨークとハンブルグの間の定期船とした運行されていた。しかし、昭和17年1月に海軍に徴用され、横須賀鎮守府所属の運送船となった。

     今、桑港丸は夏島の東方沖、最大水深約62mの海底に船首を東北に向け直立した形で沈んでいる!その船体は、直撃弾を受けた煙突付近を除きほぼ原型を留めていた。この船も富士川丸同様に、左舷のアンカーが海底に伸びているところから停泊中に沈んだものと思われる。船首には砲塔を構えている。

     桑港丸は、多くの軍需物資が積み込まれている。第一船倉内などには、数多の機雷やトラックらしき車両、甲板上には小型の戦車が何台も積載されている。後部の第二船倉にも魚雷・爆雷・機雷など多くの兵器が積み込まれていた。これらの兵器が、誘爆していたらこの船は間違いなく粉々に吹き飛んでいたと思われる!!

     余談ではあるが、この桑港丸はその名の由来からかアメリカ人ダイバーが好んで潜水するポイントらしい。


     船体に付着する珊瑚!




     海亀が回遊していた!

    海軍運送船・五星丸

    • 2012.02.25 Saturday
    • 19:18
     
     海軍運送船・五星丸

     五星丸は、昭和12年9月鶴見製鉄造船所で進水した。総トン数1931トン最高速力12,71ノット貨物船であった。昭和18年9月、海軍に徴用された。姉妹船に香取丸・明治丸・三島丸など6船があるが、敵潜水艦の雷撃などにより撃沈されている!
     冬島の北東沖最大深度約30mの海底に左舷船首を突っ込んだ形で沈んでいる。水深3m付近にスクリュウを見ることができる。積荷は魚雷や弾薬を運搬していたと思われる。今は分からないがこの船から以前、冬島の島民が弾薬を引き上げダイナマイトを作り違法な漁をしていたと聞いたことがある。また、冬島が近いこともあり、島の子供達の格好の遊び場である。


     船の先端部分
     



     船体に付く珊瑚





    特設潜水母艦・平安丸

    • 2012.02.10 Friday
    • 17:17
     
     特設潜水母艦・平安丸

     昭和5年4月、平安丸は大阪鉄工所桜島工場(現、日立造船)で建造され進水した。総トン数11616トン、最大速力18.38ノット貨客船であった。甲板は7層からなり、船内も公室をはじめ客室も多く、船での快適な旅には充分な設備があった。また、船倉も6箇所備えて多くの貨物を収納できる当時としては、最高の貨客船であった。昭和5年12月、香港からシアトルに向けてが平安丸の処女航海で、その後は、世界大恐慌などによる業績の悪化で2週間に1回、神戸とシアトルをむすんでいた。ちなみに、最後の航海は、日米関係が悪化した昭和16年8月のシアトルから横浜への航海である。

     平安丸は、昭和16年10月海軍に徴用された。船室は、潜水艦乗組員の休養室となり、船倉には魚雷などの軍需物資、食料などが積み込まれていた。また、簡単な工場も作られていた。開戦当初は、12隻の潜水艦の母艦となってクワゼリンを基点としていた。

     余談では有るが姉妹船に、氷川丸日枝丸がある。氷川丸は、赤十字のマークをつけた、病院船であったために、沈まずに今横浜で見ることができる 。もう一隻の日枝丸は、平安丸が沈没するちょうど1年前の昭和18年2月ラバウル北西300海里にて、敵潜水艦の雷撃により沈んでいる。

     今、平安丸は夏島の北西最大深度34Mの海底に、船首を夏島に向けて左舷を横にして沈んでいる。甲板上にある建造物などは朽ち果てているものの、その原型を良くとどめている。船首の部分には、ローマ字と漢字で、HEIAN MARU 平安丸と確認できる。回廊には、多くの潜望鏡などが積み込まれている。しかし、船倉には何もない。2月18日の空襲を予期して物資を全て下ろした事や沈んだ場所が浅かった事で、当時の兵士がそれらを引き上げたものらしい。
    他にも印象的なのが2基の巨大なスクリューである。ここは珊瑚などで覆われて、そこに住む色とりどりの魚で溢れている。平安丸は、トラック諸島の海に沈む最大の船である。


     船首左舷にある船名





     平安丸のスクリューで泳ぐ熱帯魚!誰かが、灯りをおいていた。





    海軍運送船・山霧丸

    • 2012.02.08 Wednesday
    • 18:14

     海軍運送船・山霧丸

     山霧丸は、昭和13年5月三菱重工横浜造船所で進水した。総トン数6438.83トン、最高速力17.06ノットの貨物船であった。当初、山下汽船のニューヨーク南米路線で活躍していたが、昭和16年9月に海軍に徴用された。

     今、山霧丸は秋島の北、最大で34Mの海底に船首を東側に向けて横倒しの状態で沈んでいる!煙突には、山下汽船の「Y」のマークが確認できる。船首右側に大きな爆発で出来た穴がある。ここに、爆弾が命中したものと思われる。この船は前後に5つの船倉がある。その内の1つに戦艦武蔵の砲弾がいくつも転がっている。これが、山霧丸の最大の特徴の気がする!船首から海底に伸びる錨が、この船が停泊中に沈んだ事を物語っている!


     
    山霧丸で見つけた皿や一升瓶





    暗い船倉で群れを成す魚

    海軍運送船・山鬼山丸

    • 2012.02.07 Tuesday
    • 19:25
     
     海軍運送船・山鬼山丸

     山鬼山丸は、昭和17年1月播磨造船所で進水した。総トン数2774トン、最大速力15,759ノットの貨物船であった。昭和18年10月に海軍に徴用され、主に南方戦線に軍需物資の運送にあたっていた。進水から沈没まで、たった2年の短い運命であった!

    今、山鬼山丸は冬島の西、最大で45メートルの海底にほぼ直立した形で沈んでいる。船橋から後方は原形をとどめないほど吹き飛ばされている!前部船倉は3つあり、零式戦闘機の栄エンジンやタイヤなどを見ることが出来る。また、水面に伸びているマストが印象的である。甲板には、トラックが何台か積載されている。しかし、もうその殆どが朽ち果てていている。この船の最大の特徴は、たくさんの7.7mmの弾丸の散乱である。比較的浅く、多くのダーバーが訪れるこの船は荒らされる一方の気がする。訪れるたびにそれを感じる。その弾丸をむき出しの鉄骨の上に並べJACK,DICKなどと自分の名前を残すダイバーもいる。それらを見ると、何故か言いようのない時の流れと寂しさを感じた!!

     山鬼山丸を回遊するオニかます


       



      船倉から水面を撮影

      

     

    海軍航空機運搬船・富士川丸

    • 2011.11.17 Thursday
    • 18:47

     海軍航空機運搬船・富士川丸

     昭和13年4月三菱重工業長崎造船所で進水した富士川丸は、総トン数4960トン最大速力16,386ノットであった。この船は、北米定期航路に建造した貨物船で、印度や南米へ貨物の運搬にも活躍した。昭和15年12月海軍に徴用され航空機の運搬船になった。
     今、富士川丸は竹島の南東の最大42mの海底に沈んでいる。この海域は、流れも緩やかでダイビングには最高のポイントである。富士川丸は、鳥居形のマストなどに色とりどりの珊瑚や熱帯魚に彩られて本当に美しい沈没船である。また、この船の船倉には、見た限り組み建前の海軍の零式艦上戦闘機が最低2機、そして96式艦上戦闘機1機が積載されている。殆ど朽ち果ててはいるものの、操縦桿やコクピットの計器類は確認できる。そして、うっすらと主翼の日の丸もよく見ると分かる。錨が格納されているところを見ると停泊中に撃沈されたのかもしれない。


     「零式艦上戦闘機の座席と操縦桿」



     「スラストリバーサー」

    測量船・宗谷

    • 2011.11.05 Saturday
    • 15:46
      
     測量船・宗谷

     トラックの環礁内に沈没せず、現在その雄姿を見ることが出来る船が何隻かあります。今日は、その内の一隻である船を紹介いたします。

     昭和13年2月、ソ連通商の発注で耐氷型貨物船として進水したのが、今テレビドラマで人気の「南極大陸」に登場するのがその船です。当初、船名を「ボロチャエベツ」といいました。しかし、この船は、当時の国際情勢からソ連には引き渡されませんでした。この船を建造した川南工業と当時の辰馬汽船との出資で設立された商船会社で「地領丸」という船名で活躍しました。昭和15年2月、海軍が徴用し6月に船名を「宗谷」と改めました。昭和17年1月、第4艦隊付属に編入されて雑用兼測量船として、海図作成などに従事しました。昭和19年2月、連合艦隊付属に編入されますが、その間千島列島や樺太、サイパン、トラック、ポナペなどの測量、そしてミッドウエー作戦などにも参加しました。

     宗谷は、昭和19年2月の空襲の際、1門の高角砲と機関銃にてこれに応戦しました。宗谷は夏島とその東側にある珊瑚礁の間で、敵機の攻撃を回避していました。夏島の傍であることや珊瑚の浅瀬であるために魚雷攻撃が出来なかったようです。その後、宗谷は浅瀬に座礁しますが、運よく離礁し傷つきながらも4月に横須賀に帰港しました。終戦後は、樺太からの引き上げ輸送にあたり、昭和25年4月からは海上保安庁の灯台補給船として、そして昭和31年からは南極観測船として活躍し、現在「船の科学館」で見ることが出来ます。

     宗谷が停泊した夏島の夕日



                                  


                         

    オローラ島&頼もしきバディー

    • 2011.10.26 Wednesday
    • 15:27
     オローラ島&頼もしきバディー

      ダイビングの休憩の時、昼食を食べるのによく利用する小さな島があります。オローラ島といって、コテージ風の宿泊施設が4部屋あります。ここに行くといつも2匹の犬が出迎えてくれます。景色もよく風と波の音しか聞こえません。夜は、降るほどの星が見えます。島を通り抜ける風が、大変心地いいですよ。レストルームも完備されています。トラック諸島に行かれた時にはぜひ行くことをお勧めいたします。

     また、今日は高校時代からの友人で共にダイビングの許可証を得た、「ミスターUCC」を紹介いたします。 彼は、葛飾は水元に育ち大変面倒見がよくその上、手先が大変に器用です!頼めば、たいがいの事はやってくれます。ウルトラマンが好きで、バロム1のファンでもあります。酒が飲めないのが欠点ですが、甘いものが大好きで毎日欠かさず食べていると思われます。また、写真撮影が好きです。ここに、載せている写真は彼がほとんど撮影をしました。



     オローラ島

       


      オローラ島の木漏れ陽

       

     ミスターUCC

      




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