スポンサーサイト

  • 2012.06.20 Wednesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -
    • -

    特設潜水母艦・平安丸

    • 2012.02.10 Friday
    • 17:17
     
     特設潜水母艦・平安丸

     昭和5年4月、平安丸は大阪鉄工所桜島工場(現、日立造船)で建造され進水した。総トン数11616トン、最大速力18.38ノット貨客船であった。甲板は7層からなり、船内も公室をはじめ客室も多く、船での快適な旅には充分な設備があった。また、船倉も6箇所備えて多くの貨物を収納できる当時としては、最高の貨客船であった。昭和5年12月、香港からシアトルに向けてが平安丸の処女航海で、その後は、世界大恐慌などによる業績の悪化で2週間に1回、神戸とシアトルをむすんでいた。ちなみに、最後の航海は、日米関係が悪化した昭和16年8月のシアトルから横浜への航海である。

     平安丸は、昭和16年10月海軍に徴用された。船室は、潜水艦乗組員の休養室となり、船倉には魚雷などの軍需物資、食料などが積み込まれていた。また、簡単な工場も作られていた。開戦当初は、12隻の潜水艦の母艦となってクワゼリンを基点としていた。

     余談では有るが姉妹船に、氷川丸日枝丸がある。氷川丸は、赤十字のマークをつけた、病院船であったために、沈まずに今横浜で見ることができる 。もう一隻の日枝丸は、平安丸が沈没するちょうど1年前の昭和18年2月ラバウル北西300海里にて、敵潜水艦の雷撃により沈んでいる。

     今、平安丸は夏島の北西最大深度34Mの海底に、船首を夏島に向けて左舷を横にして沈んでいる。甲板上にある建造物などは朽ち果てているものの、その原型を良くとどめている。船首の部分には、ローマ字と漢字で、HEIAN MARU 平安丸と確認できる。回廊には、多くの潜望鏡などが積み込まれている。しかし、船倉には何もない。2月18日の空襲を予期して物資を全て下ろした事や沈んだ場所が浅かった事で、当時の兵士がそれらを引き上げたものらしい。
    他にも印象的なのが2基の巨大なスクリューである。ここは珊瑚などで覆われて、そこに住む色とりどりの魚で溢れている。平安丸は、トラック諸島の海に沈む最大の船である。


     船首左舷にある船名





     平安丸のスクリューで泳ぐ熱帯魚!誰かが、灯りをおいていた。





    スポンサーサイト

    • 2012.06.20 Wednesday
    • 17:17
    • 0
      • -
      • -
      • -
      • -
      コメント
      コメントする








          
      この記事のトラックバックURL
      トラックバック

      PR

      calendar

      S M T W T F S
         1234
      567891011
      12131415161718
      19202122232425
      2627282930  
      << November 2017 >>

      7万人に広告配信

      ADPOINTPRO

      Noble Mail

      NobleMail

      ポイント集めて現金化!

      King of mail

      kingmail.jp

      selected entries

      categories

      archives

      recent comment

      links

      profile

      search this site.

      others

      mobile

      qrcode

      powered

      無料ブログ作成サービス JUGEM